取材フィルムやビデオテープの提出を求められたらどうする?-博多駅テレビフィルム提出命令事件

前回の記事で、取材源の秘匿の判例を読んだが、今回は広い意味での取材源の秘匿―取材を通じて得られた情報(取材メモ、フィルム、ビデオテープなど)の開示を強要されない権利―について考えてみよう。
学説上「広義の取材源秘匿権」と呼ばれている。

この問題については最高裁判所の判断(最高裁昭和44年11月26日大法廷決定)がある。前回の記事で紹介した博多駅テレビフィルム提出命令事件だ。以後この決定の判断枠組みに従って類似の事案が処理されている。

博多駅テレビフィルム提出命令事件

事案の概要

事案は1968〈昭和53〉年にさかのぼる。アメリカの原子力空母エンタープライズの佐世保寄港を阻止する運動に参加するために、1月16日に三派系全学連学生が約300人博多駅で下車をした。ここで、福岡県警察の機動隊員らと衝突が起き、公務執行妨害罪で逮捕される学生が出た。

一方、学生側は、機動隊員の行為は、公務員暴行陵虐罪や公務員職権濫用罪にあたると考えた。公務員暴行陵虐罪とは、刑法195条に「裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者が、その職務を行うに当たり、被告人、被疑者その他の者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときは、七年以下の懲役又は禁錮に処する。」と規定されている罪である。つまり警察官が職務を行うに当って暴行等を行った場合を罰するものだ。公務員職権濫用罪は、刑法193条に定められている。「公務員がその職権を濫用して、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したときは、二年以下の懲役又は禁錮に処する。」とある。

しかし、学生たちの告発は不起訴となった。これに対して学生たちは不審判請求を行う。不審判請求とは、一定の犯罪(上記の犯罪は含まれる)について、検察官が不起訴処分を行った場合、告訴人や告発人がその検察官所属の検察庁の所在地を管轄する裁判所に対し、裁判所の審判に付すように請求をすることができる制度である。刑事訴訟法262条に規定がある。

不審判請求の審理を担当した福岡地方裁判所は、起訴をすべきかどうかを判断するために、RKB毎日放送ほか民放3社とNHK福岡放送局に対し、博多駅で起こった衝突事件の状況を撮影したテレビフィルム全部の提出を命令した。このフィルムにはすでに放映済みのものと放映されなかったものとが含まれていた。

手続

この提出命令に対して、放送局4社は福岡高等裁判所に抗告をしたが、抗告は棄却される。そこで、放送局4社は特別抗告を行う。

抗告の理由は次のようなものだった。

報道の自由は、憲法が標榜する民主主義社会の基盤をなすものとして、表現の自由を保障する憲法21条においても、枢要な地位を占める。報道の自由を全うするには、取材の自由もまた不可欠のものとして、憲法21条によって保障されなければならない。これまで報道機関に広く取材の自由が確保されてきたのは、報道機関が、取材にあたり、つねに報道のみを目的とし、取材した結果を報道以外の目的に供さないという信念と実績があり、国民の側にもこれに対する信頼があったからだ。

取材フイルムを刑事裁判の証拠に使う目的を有する提出命令が適法とされ、報道機関がこれに応ずる義務があるとされれば、国民の報道機関に対する信頼は失われ、その協力は得られなくなる。その結果、真実を報道する自由は妨げられ、ひいては、国民がその主権を行使するに際しての判断資料は不十分なものとなり、表現の自由と表裏一体をなす国民の「知る権利」に不当な影響をもたらす。本件提出命令は、表現の自由を保障した憲法21条に違反する。

しかし、最高裁は報道の自由が憲法21条で保障されることは認めたものの、取材の自由については憲法上の保障が劣るものとして位置付け、取材フィルムの提出命令を維持する。

決定要旨

分かりやすくするために、決定の要旨に番号を付した。

1.報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障のもとにあることはいうまでもない。また、このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いするものといわなければならない。

2.ところで、本件において、提出命令の対象とされたのは、すでに放映されたフィルムを含む放映のために準備された取材フィルムである。それは報道機関の取材活動の結果すでに得られたものであるから、その提出を命ずることは、右フィルムの取材活動そのものとは直接関係がない。もっとも、報道機関がその取材活動によって得たフィルムは、報道機関が報道の目的に役立たせるためのものであって、このような目的をもって取材されたフィルムが、他の目的、すなわち、本件におけるように刑事裁判の証拠のために使用されるような場合には、報道機関の将来における取材活動の自由を妨げることになるおそれがないわけではない。しかし、取材の自由といっても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることのあることも否定することができない。

3.本件では、まさに、公正な刑事裁判の実現のために、取材の自由に対する制約が許されるかどうかが問題となるのであるが、公正な刑事裁判を実現することは、国家の基本的要請であり、刑事裁判においては、実体的真実の発見が強く要請されることもいうまでもない。このような公正な刑事裁判の実現を保障するために、報道機関の取材活動によって得られたものが、証拠として必要と認められるような場合には、取材の自由がある程度の制約を蒙ることとなってもやむを得ないところというべきである。しかしながら、このような場合においても、一面において、審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重および取材したものの証拠としての価値、ひいては、公正な刑事裁判を実現するにあたっての必要性の有無を考慮するとともに、他面において、取材したものを証拠として提出させられることによって報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合その他諸般の事情を比較衡量して決せられるべきであり、これを刑事裁判の証拠として使用することがやむを得ないと認められる場合においても、それによって受ける報道機関の不利益が必要な限度をこえないように配慮されなければならない。

4.以上の見地に立って本件についてみるに、本件の付審判請求事件の審理の対象は、多数の機動隊等と学生との間の衝突に際して行なわれたとされる機動隊員等の公務員職権乱用罪、特別公務員暴行陵虐罪の成否にある。その審理は、現在において、被疑者および被害者の特定すら困難な状態であって、事件発生後2年ちかくを経過した現在、第三者の新たな証言はもはや期待することができず、したがって、当時、右の現場を中立的な立場から撮影した報道機関の本件フィルムが証拠上きわめて重要な価値を有し、被疑者らの罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須のものと認められる状況にある。他方、本件フィルムは、すでに放映されたものを含む放映のために準備されたものであり、それが証拠として使用されることにつて報道機関が蒙る不利益は、報道の自由そのものではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるというにとどまるものと解されるのであって、付審判請求事件とはいえ、本件の刑事裁判が公正に行なわれることを期するためには、この程度の不利益は、報道機関の立場を十分尊重すべきものとの見地に立っても、なお忍受されなければならない程度のものというべきである。また、本件提出命令を発した福岡地方裁判所は、本件フィルムにつき、一たん押収した後においても、時機に応じた仮還付などの措置により、報道機関のフィルム使用に支障をきたさないよう配慮すべき旨を表明している。以上の諸点その他各般の事情をあわせ考慮するときは、本件フィルムを付審判請求事件の証拠として使用するために本件提出命令を発したことは、まことにやむを得ないものがあると認められるのである。

5.前叙のように考えると、本件フィルムの提出命令は、憲法21条に違反するものでないことはもちろん、その趣旨に牴触するものでもなく、これを正当として維持した原判断は相当であり、所論は理由がない。

最高裁判事の陣容

決定を下した最高裁判事は次の方々である。

裁判長裁判官 石田和外
裁判官 入江俊郎
裁判官 草鹿浅之介
裁判官 長部謹吾
裁判官 城戸芳彦
裁判官 田中二郎
裁判官 松田二郎
裁判官 岩田誠
裁判官 下村三郎
裁判官 色川幸太郎
裁判官 大隅健一郎
裁判官 松本正雄
裁判官 飯村義美
裁判官 村上朝一
裁判官 関根小郷

大法廷決定の解読

大法廷決定を解読してみよう。

1 憲法上の権利の問題が提示されている場合、裁判所はまず、その権利が憲法上保障されているのか否かを判断する。憲法上保障されているならば、その制約が許されるかどうかは憲法の問題として検討されることになる。これを判断したのが1の部分だ。

ここで、最高裁は、「憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値いする」という表現を用いており、取材の自由は憲法上保障されるものの、報道の自由と比較するとその保障の程度は低いと捉えていると考えられている。もっとも、取材の自由の制約は憲法の問題として判断することが明確にされた。

これに対して、学説では批判が強い。松井茂記ブリティッシュコロンビア大学教授は次のように述べている(『マス・メディア法入門 第5版』日本評論社、219頁)。

学説でも、現在では取材の自由を認める見解が支配的である。…『知る権利』理論の台頭により、現在では一般に、表現の自由はその前提として当然に取材の自由を含むものと考えられるようになったからである。実際、取材の自由なくしては表現・報道の自由は無意味である。このような視点からは、取材の自由は直接憲法21条によって保護されているというべきである。

2 2の部分は、取材の自由も制約ができることが述べられている。まず最高裁は、提出命令の対象となっている行為に着目する。提出を命じた裁判所は取材活動の結果すでに得られた取材フィルムの提出を命じているのであって、取材活動そのものを制約しているのではないという。取材活動そのものを制約しているのではないならば、制約可となりそうだが、最高裁は一足飛びにはそうは言わない。

なぜならフィルムは報道目的のために得たものなので、これを他の目的に使用するならば報道機関の将来の取材活動の自由を妨げるおそれがないわけではないというのだ。1で取材の自由が憲法上の保護に値するという位置付けたことから、憲法適合性を慎重に判断しているということだろう。

憲法の他の権利と同様に取材の自由も絶対無制約ではない。最高裁は、公正な裁判の実現というような憲法上の要請があるときは、ある程度の制約を受けることがあるとする。

3 3の部分は、具体的にどのような場合に制約が認められるかが検討されている。憲法上の要請である公正な刑事裁判の実現のためには、「取材活動によって得られたものが、証拠として必要と認められるような場合」には、取材の自由がある程度の制約をこうむることとなってもやむを得ないと宣言。そして、主に以下の諸事情を比較衡量して判断するとしている。

  • 審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重
  • 取材したものの証拠としての価値
  • 公正な刑事裁判を実現するにあたっての必要性の有無
  • 取材したものを証拠として提出させられることによって報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合
  • その他

4 4の部分は事案へのあてはめである。3の諸事情にあてはめると次のようになる。

  • 審判の対象とされている犯罪の性質、態様、軽重:多数の機動隊等と学生との間の衝突に際して行なわれたとされる機動隊員等の公務員職権濫用罪、特別公務員暴行陵虐罪の成否
  • 取材したものの証拠としての価値:現在、被疑者および被害者の特定すら困難な状態であって、事件発生後2年近くを経過した現在、第三者の新たな証言はもはや期待することができない。現場を中立的な立場から撮影した報道機関の本件フィルムが証拠上きわめて重要な価値を有する。
  • 公正な刑事裁判を実現するにあたっての必要性の有無: 被疑者らの罪責の有無を判定するうえに、ほとんど必須のもの。
  • 取材したものを証拠として提出させられることによって報道機関の取材の自由が妨げられる程度およびこれが報道の自由に及ぼす影響の度合:本件フィルムは、すでに放映されたものを含む放映のために準備されたものであり、それが証拠として使用されることによって報道機関がこうむる不利益は、報道の自由そのものではなく、将来の取材の自由が妨げられるおそれがあるというにとどまる。この程度の不利益は、報道機関の立場を十分尊重すべきものとの見地に立っても、なお忍受されなければならない程度のもの。福岡地方裁判所は、本件フィルムにつき、いったん押収した後においても、時機に応じた仮還付などの措置により、報道機関のフィルム使用に支障をきたさないよう配慮すべき旨を表明。

4つ目の事情を読むとピンとくるのだが、ここで最高裁が取材の自由は憲法上の保護に値するとしながら、報道の自由よりも保障の程度が低いと捉えていることが効いてきているようだ。実際の比較衡量の諸事情の検討の中で、やはり制約を正当するとする方向に動いてしまうことになる。

その後……

さて、それでは不審判請求はその後どうなったのだろうか。

結局、個々の加害者の特定ができないことを理由に、不審判請求は棄却されている。つまり、どの機動隊員が加害者であるかが特定できないので、当初の不起訴処分が維持されることになったわけだ。

博多駅事件決定の射程

博多駅事件決定では、取材フィルムの押収をしたのは裁判所だったが、検察庁や警察といった捜査機関の押収についてはどうだろうか。これが争われた2つの事件について最高裁決定が出ている。いずれも差押は、適正迅速な捜査の遂行のためにはやむを得ないものであり、放送局の受ける不利益は受忍すべきものであり、差押処分はやむを得ないものと判断されている。

①日本テレビ事件(最高裁平成元年1月30日第二小法廷決定)

いわゆるリクルート疑惑に関連して、野党の衆議院議員が、リクルートコスモスの取締役社長室長(当時)から国政調査権の行使等に手心を加えてもらいたいという趣旨で現金供与の申込みを受けたとして、この室長を贈賄罪で東京地検に告発した。現金供与の申込みとされる行為は3度にわたっており、同議員が日本テレビに情報提供と依頼を行い、日本テレビは室長と同議員の面談状況を隠し撮りして二度ビデオテープに収録した。このうち、二度目の撮影分は、現金供与の申込当日のものであるとされた。
検察官は当初ビデオテープ以外の証拠によって捜査を進め、その後裁判官の差押許可状を得て、検察事務官がビデオテープを差し押さえた。なお、一度目の撮影分は差押の約2か月前弱に放送され、二度目の撮影分の編集済みのものが差押後その日のうちに放送された。
日本テレビは、差押処分は取材の自由を保障した憲法21条に違反すると主張して、その取消しを求めて準抗告を申し立てたが、東京地裁が棄却したため、特別抗告を行った。

最高裁は、博多駅事件決定が捜査機関の押収についても基本的に妥当すると指摘し、諸事情の比較衡量を行い、ビデオテープが重大な事案の解明にとってほとんど不可欠であったこと、本件テープの放映自体には支障がなかったこと、取材の経緯、取材源である議員の意向、検察官と日本テレビの事前折衝などの事情を総合して、差押は許されると判断。

島谷六郎裁判官の比較衡量の結果を異にする反対意見が付されている。

②TBS事件(最高裁平成2年7月9日第二小法廷決定)

TBSが番組「ギミア・ぶれいく」の「潜入ヤクザ24時-巨大組織の舞台裏」というコーナーで、暴力団組長らが脅迫をするシーンなどを放送した。
これを端緒として、暴力行為等処罰に関する法律違反、傷害被疑事件の捜査が始まり、警察官が裁判官の発付した差押許可状によりTBSの取材ビデオテープ29巻を差し押さえた。このテープには、被疑事件の当日の被疑者と被害者のやり取りなどが収録されていた。
TBSは、差押処分は憲法21条で保障された報道の自由を侵害するとして、取消しを求める準抗告を申し立てたが、東京地裁が棄却したため、特別抗告を行った。なお、準抗告申立て後、25巻が還付されたため、それらについては申立ての利益を欠くとされ、実質的な判断の対象となったのは4巻である。

最高裁は、日本テレビ事件と同様に博多駅事件決定が警察官の押収についても妥当するとし、諸般の事情を比較衡量した。そして、ビデオテープの押収が軽視することのできない悪質な事件の捜査のために、真相を明らかにする必要上行われたこと、差押当時すでに放映のための編集を終了しており、放映が不可能となって報道の機会が奪われたわけではないこと、撮影は組長・組員の協力を得て行われ、取材協力者はビデオテープの放映を了承しており、その身元を秘匿するなど擁護しなければならない利益はほとんどないこと、暴行が繰り返し行われていることを現認しながら撮影を続けており、犯罪者の協力により犯行現場を撮影収録したものといえ、そのような取材を報道のための取材の一態様として保護しなければならない必要性は疑わしく、本件と同様の方法により取材をすることが仮に困難になるとしても、その不利益はさして考慮に値しないこと等の事情をあげて、差押は許されると判断。

押収を違法とする奥野久之裁判官の反対意見が付されている。

この2つの決定に対する学説の評価は分かれている。ポイントは「公正な刑事裁判を実現する」上で、裁判所と捜査機関を同一視してよいのだろうかという点だろう。

これを否定的に捉える見解は、次のように述べる。

一般論としていえば、裁判所へのフィルム提出と、第二小法廷が扱った捜査機関によるテープの差押えについては異なる衡量が必要であろう。裁判所に提出される取材資料については、裁判所による事実認定のために用いられることが明確であるが、捜査機関の押収した資料はただちに公開の場での調査、検討にさらされるわけではないため、犯罪捜査あるいは真実追求の目的でこの手続が利用されるとは限らず、マスメディアの取材の自由を妨げ、あるいはその抑圧を目指して濫用される危険が大きい。長谷部恭男『憲法 第6版』新生社、217頁

一方で、捜査機関による押収にも裁判官が差押許可状を発付する主体として関与していることや、もともと先例となった博多駅事件における不審判請求は起訴決定のための「捜査」といいうることから、裁判所と捜査機関との差異は本質的なものとはいえないという指摘もある。

2つの事件については、こうした理論上の問題点もあるが、具体的な利益衡量の過程で、将来の取材に与える影響を過小評価しているきらいがあるように思われる。

この点、取材への影響や取材経緯の特殊性について、①の事件の島谷六郎裁判官の反対意見は示唆に富むように思われる。

報道の自由、取材の自由に対する弊害の点であるが、報道機関が取材結果を報道目的以外に使用するときは、将来における取材活動に他者の協力を得難くなるおそれがあり、場合によっては妨害を受けるおそれさえなしとしないであろう。取材結果が捜査機関によって差し押えられ捜査目的に使用されることも、また同様の契機をはらむものであり、将来の取材活動に支障を来すおそれを生ぜしめることは、見やすい道理である。確かに、取材活動への支障は、将来の問題であって眼前に差し迫った不利益ではないかもしれない。しかし、憲法21条に基礎を置く取材の自由の本質に照らし、この点を過小評価することは、相当ではないと思われる。また、本件ビデオテープの取材経緯には、原決定指摘のような特殊な事情があるようであるが、しかし、報道機関の取材結果を押収することによる弊害は、個々的な事案の特殊性を超えたところに生ずるものであり、本件ビデオテープの押収がもたらす弊害を取材経緯の特殊性のゆえに軽視することも、適当ではないように思われるのである。

更に、本件ビデオテープには未放映部分が含まれているが、右部分は、記者の取材メモに近い性格を帯びており、その押収が前記弊害をいつそう増幅する傾向を有することにも十分留意する必要がある

弁護士(第二東京弁護士会所属・弁護士・NY州弁護士) Gerogetown University Law Center LLM修了 早稲田大学法学部卒業 法律事務所Legal i プラスを2021年設立 Information Law, Internet Law, Intellectual Property Lawなど、iから始まる法律を中心に業務を行っています。 このサイトでは、情報法に関する情報を発信しています。5月末までは改正された個人情報保護法の記事を集中してUPする予定です。 私の詳しいプロフィールは、サイドバーのLinkedInをクリックしてご覧ください。