名誉毀損における相当性の抗弁は報道時点で把握していた証拠に限られる-ロス疑惑北海道新聞社事件

真実性・相当性の理論と立証

あなたの書いた記事や制作した番組が名誉毀損であるという理由で、損害賠償や謝罪広告掲載の請求の裁判が提起されたとき、名誉毀損であるとされる事実が真実であること(真実性)を主張立証するか、または事実が真実であると信じたことに相当の理由があること(相当性)を主張立証する必要がある。

 

さて、もう一つ留意しなければならない点がある。立証というものの、どのような範囲の資料を証拠として利用することができるかという点だ。判例を見る前に先走ってしまうが、結論的には次のようになる。

つまり、真実性の証明には、事実審(つまり控訴審)の口頭弁論終結時までの資料(緑の部分)を立証に利用できるが、相当性の証明には、報道時までの資料(青の部分)だけしか立証に利用できないのだ。

ロス疑惑北海道新聞社事件

これを最高裁レベルで最初に判断したのが、いわゆる「ロス疑惑」の北海道新聞社事件である。

事案の概要

1981〈昭和56〉年8月13日、X(原告・被控訴人・被上告人)の妻Aが、アメリカ・ロサンゼルスのホテルで、何者かに凶器で殴打され負傷する事件(殴打事件)が発生した。

1985〈昭和60〉年9月11日、Xが殴打事件の被疑者として逮捕されると、翌9月12日、Y(北海道新聞社:被告・控訴人・上告人)は、通信社の配信記事を基にして、Xが殴打事件の犯人であることを推測させる内容の記事(本件記事)を掲載した。この記事が名誉毀損となるとして、XはYに対し損害賠償請求事件(本件事件)を提起した。

殴打事件および本件事件は次の表のように経過している。なお、殴打事件とは別に、XはAを殺害した殺人事件の犯人として刑事裁判を受けたが、こちらは無罪で判決が確定している。

本件事件の経過 殴打事件(刑事事件)の経過
1981/8/13 Xの妻が米国ロサンゼルスのホテルで凶器で殴打され負傷
1985/9/11 X逮捕
1985/9/12 Yが通信社の配信記事を基に記事掲載
1985/10 殺人未遂罪でX起訴
1987/8/7 東京地裁でX有罪判決
1993 XがYに対し名誉毀損による損害賠償請求訴訟を東京地裁に提起
1994/6/22 東京高裁でXの控訴棄却
1995/4/20 東京地裁がXの請求認容判決
1995/11/27 東京高裁がYの控訴棄却判決
1998/10 最高裁でXの上告棄却
2002/1/29 最高裁がYの上告認容・破棄差戻

争点

最高裁での争点は、①名誉毀損における「真実性」の証明の判断の基準時はいつか、②真実性の立証のために使える証拠はどの範囲のものかであった。

本件事件に照らすと、東京地裁の判決時および東京高裁の審理時には、未確定ではあるものの、Xの刑事事件の地裁・高裁の有罪判決が出ていた。もしも真実性の証明を“記事を掲載した時点”で判断するならば、これらの有罪判決は、その時点では存在していないものであるから、真実性の判断において考慮することができないことになる。

東京高裁(原判決)は、この立場を採った。①について、真実性の証明は記事の掲載時とし、②について、記事掲載時点で存在した資料に基づくと判断したのである。
これを覆したのが最高裁判決である。

判旨

原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るものである場合には、摘示された事実がその重要な部分において真実であることの証明があれば、上記行為は違法性がなく、また、真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実と信ずるについて相当の理由があるときは、上記行為には故意又は過失がなく、不法行為は成立しない(最高裁昭和37年(オ)第815号同41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118頁参照)。

裁判所は、摘示された事実の重要な部分が真実であるかどうかについては、事実審の口頭弁論終結時において、客観的な判断をすべきであり、その際に名誉毀損行為の時点では存在しなかった証拠を考慮することも当然に許されるというべきである。けだし、摘示された事実が客観的な事実に合致し真実であれば、行為者がその事実についていかなる認識を有していたとしても、名誉毀損行為自体の違法性が否定されることになるからである。真実性の立証とは、摘示された事実が客観的な事実に合致していたことの立証であって、これを行為当時において真実性を立証するに足りる証拠が存在していたことの立証と解することはできないし、また、真実性の立証のための証拠方法を行為当時に存在した資料に限定しなければならない理由もない。他方、摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由が行為者に認められるかどうかについて判断する際には、名誉毀損行為当時における行為者の認識内容が問題になるため、行為時に存在した資料に基づいて検討することが必要となるが、真実性の立証は、このような相当の理由についての判断とは趣を異にするものである。

結論

上記の最高裁判決は、民事で通説的見解とされていた見解を採ったものである。すなわち、通説的見解では、①証明の対象は事実が客観的に真実であったかどうか、②真実性の基準時は事実審口頭弁論終結時、③真実性の立証のための証拠には制限はない、とされていた。

高裁判決は、この通説的見解とは異なり、前述のとおり、真実性の証明の判断基準時を行為当時に設定して、殴打事件の有罪判決は名誉毀損行為後に収集されていることを理由に、真実性立証のための証拠とはなし得ないと判断。最高裁は、この点で、事実の真実性を認定する際の立証の対象または立証のための証拠の範囲について、判断を誤ったとした。
事件は破棄され、高裁に破棄差し戻しされた。

相当性の立証資料

上記の判決の中心は、争点で述べたように、真実性の判断時期と証拠の範囲であるが、相当性の判断時期と証拠の範囲もそれに優るとも劣らず重要である。名誉毀損訴訟では、真実性のみならず相当性を争う事件が大半だからだ。

判旨の中で触れられている「他方、摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由が行為者に認められるかどうかについて判断する際には・・・」という部分が、真実性の証明ではなく、相当性の証明に関するものだ。冒頭で書いたように、相当性の証明は、行為時=報道時に存在した資料に基づいて判断される。

どのような場合に、この判旨が重要になってくるかだが、“報道後に入手した資料”に基づくならば、事実を真実と信ずるについて相当の理由があると認められそうな場合である。報道時には入手していないのだから、この資料は真実性の証明には利用できても、相当性の証明には利用できない。

これは割と誤解されているらしく、相当性の証明は報道後の資料でもかまわないと考えている人もいるようだ。法律的なテクニカルな問題のように感じられるが、裏を返せば、報道時に真実と信じる十分な資料をもって報道する必要があるということになる。報道に携わる方には耳タコのような話だろうが、留意しておきたいところである。

ちなみに、BPOの放送倫理検証委員会では、内部告発に基づいた放送について、決定第1号で次のように述べて放送倫理上の責任を検討している(下線は筆者)。

番組を放送する際の妥当性は、放送時点において、その告発内容が真実であると信じるに足る相応の理由や根拠が存在したかどうかが重要な分岐点になる。仮にのちになって、その告発が事実ではなかったことが判明したとしても、種々の状況や取材調査の結果から判断して、放送の時点で、信じるに足るとの一定の合理的根拠が存在していたのであれば、その番組の放送倫理上の責任を問うことはできない。

この考え方は、名誉毀損の相当性の理論を放送倫理に敷衍したものだ。告発内容を放送した事実と置き換えると、放送一般にも同様の考え方を及ぼすことができる。実際、放送倫理検証委員会が誤報と指摘された番組について判断する際には、ほぼこの考え方によっている。
留意すべきなのは、「放送時点において」という点である。つまり、放送時点で真実と信じるに足るとの一定の合理的根拠があれば、のちに真実でないことが分かったとしても、放送倫理上の責任は問えないことになるのである。報道時点で十分な資料に基づいて報道しているか、これがキーである。

参考資料:三宅弘・小町谷育子『BPOと放送の自由』日本評論社(2016年)

弁護士(第二東京弁護士会所属・弁護士・NY州弁護士) Gerogetown University Law Center LLM修了 早稲田大学法学部卒業 法律事務所Legal i プラスを2021年設立 Information Law, Internet Law, Intellectual Property Lawなど、iから始まる法律を中心に業務を行っています。 このサイトでは、情報法に関する情報を発信しています。5月末までは改正された個人情報保護法の記事を集中してUPする予定です。 私の詳しいプロフィールは、サイドバーのLinkedInをクリックしてご覧ください。